知りすぎないことも幸せだなって話
また雑談的な内容です。
練習をほとんどしていないのでそうなるのですが。
暇な時の時間つぶしといえば、SNS徘徊とか本読むとかになるんですけど、トレーニング一つとっても、いろんな視点から色んな理論があるなぁと思いながら見ていました。
中には人間の限界越しすぎやろ...って内容もあるのですが、AIがレコメンドするくらいのレベルになってくると、ほとんどが納得できるものになってきます。
むしろ、どう考えても納得できないものを探す方が難しいんじゃないですかね。
そんなことをしながらも、痛みが引いた後のトレーニング計画を練っています。
何が足りないんだろうなって考えたとき、そもそも、ロングに出たことないから、何が足りないかもわからないや!って感じです。
まずは完走することだし、そのためにはこの脚を治すっていうことは第一優先事項になるのではないかなって思うと、心おきなく休みに当てられますね。
ケアンズではJTUがプロ登録を許可する基準をクリアして走ることを目標にしています。
プロ登録の基準はいろいろあるのですが私はIM大陸別選手権1位から10%以内のタイムで完走っていう基準をクリアして、再来年か2022年の後半から転戦できたらなって思っています。私の実力とコロナ君次第ですが。
3種目のある程度の目標タイムはあるのですが、どうしたら速く強く楽に動き続けるのか考えると、いろいろと楽しくなってきます。
自分の強みと弱みを理解して、対策を練って...
っていうふうに考えてみたとき、果たして、これほどかんがえたことはあったかなって、ふと思いました。
すでにある枠組みを組み合わせるパズルのようなトレーニングをしていないかなと。
この方法があっている人もいるとおもうのですが、私の場合は違うかなーと。
もっと、感覚的というか創造的というか。
自分から枠に収まりに行っていたような気がします。
まだ、始まってもいないのにロングに挑戦しようとしたことの成果を得たような気がします。
勿論、理論は大切なんですけど、一番大切なことは自分が納得して取り組めるかどうかっていうことが私の持論です。
あくまで私の場合ではありますが、本当に必要であれば納得できるし、そこそこの年齢なので、機嫌が悪くて受け入れられないなんてこともありません。
(感情的な揺れがあるときはちゃんと伝えるようにしています。)
知りすぎた故に自分が見えなくなっていたのだなって思いました。
結果を求めることは選手として命題ですが、それがすべてではないなと思う今日この頃です。
遠回りを恐れずにやっていきましょうかね。